[chapter:再生される記憶。]

約束の時間が訪れようとしていた。
今日もよく晴れた夜空の下、2つの存在を月明かりが照らす。時計の針を何度も見返しては、待っている。
期待が半分。諦めが半分。

約束の時間にむけて針が1秒1秒迫る。街の喧騒も届かない草原と丘の上。その夜の静寂に草木の揺れる足音がだんだん近づいてくるのを2人は感じた。その方向から少し息を切らし駆け出してきたのは、莉紗。
「はぁ、はふ、…っ、すみません!お待たせしましたっ!」
その様子に半分の期待が訪れたことに安堵の表情を。そして微笑みかけるのは湊。
「よかった、来てくれたんですね。」
静寂の中でよくとおる湊の優しい声色。
その横にいるのは空を眺めている青年。莉紗は彼に眼をやり、息を整えて声をかけた。
「あ、…………騎音、さん?」
名を呼ばれた青年は緩やかに振り返ると、莉紗に目線を合わせてからまばたきを一回し頷き、ゆっくりと声を発した。
「うん、そう。莉紗…。久しぶり」
「久しぶり…というと!や、やっぱり私どこかで皆さんとお知り合いっっ??!」
「?
だって、あの時あの上で会ったでしょ?あれ以来だから。久しぶり?」
空を指差し、さも当たり前の様に返す。なんだか噛み合わない2人の会話に、見かねて湊が割って入る。
「騎音、ダメですよ、誤解を招く言い方して。莉紗さんが混乱してしまいます。
あの時はまだほんの数分しか一緒にいなかったじゃ無いですか。それに莉紗さんはおぼろげで、殆んど夢だと思っていたのですから、ハッキリとは僕達と顔を合わせたことにはなりませんよ?
まぁでも、君らしい解釈ですけどね。」
「俺が覚えてれば知ってるし、あれ以来だから久しぶりじゃないの?
…でもじゃあ、一応自己紹介。
朔摩 騎音(さくま のおと)。俺の名前。騎音でいいよ。
よろしくね、莉紗。」
湊と淡々と言葉を交わし、彼は名を名乗る。表情の変わらないまま自己紹介をする騎音に莉紗は姿勢を正し挨拶を交わす。
「は、はい!よろしくお願いしますっ」
「うん。」
しっかりと頭を下げて会釈をすると、その下げられた頭を異性として全く遠慮する事なく、騎音はそのふわりと触り心地のよさそうな頭を軽くぽんぽんと撫でた。
明かりのない場所でハッキリとその姿を捉えることができないが、かろうじて月明かりに浮かぶ。記憶と感覚だけが覚えていた、湊と、そして彼がその青年。
その姿は、首にヘッドホンを掛けているのが印象的でそしてどこか気だるそうな、独特な話し方をするなんとも不思議な雰囲気を持っている。
湊とは正反対の、表情の変化は乏しいようだ。

「それでは始めましょうか。今日の夜を。
本来なら深夜0時と1時の間、0と1の狭間にある13番目の時間に開きますが、今日は特別にちょっとこじ開けさせていただきます。では、騎音、準備はいいですか?」
「うん。
はい、…莉紗。」
湊の掛け声に頷き、莉紗の視界に突発的に手を差し出したのは騎音。
「は、はい!え?」
呼ばれて返事をするも状況の把握ができずに困惑している莉紗に構わず騎音は続けて促す。
「手。握って?」
軽く小首をかしげて言う騎音の手を言われるがまま莉紗は繋いだ。
きゅっと結ばれた手と手、自分よりひと回り大きい掌。するとなんだか暖かい気持ちが奥底から湧き上がってくるのを感じた。心の何処かでまだぼやけてた感覚が、鮮明に覚醒する瞬間だった。
(あ…。あの夜と同じ感覚…。手に残ってた温もりと同じ。
私は、これから……)
これから再び踏み込む、あの時の世界へ。
ほんの数秒のことなのに、長い時間手を繋いでいるみたいだった。
彼女より背の高い騎音の見降ろしていた瞳の視線が少し上へ向けられた。
すると突然背後から莉紗は両眼を塞がれた。
「っ?!!はわっ、」
驚き思わず変な声を発してしまった莉紗の両眼を塞いだのは湊の手のひら。
ほんのりといい香りがして、耳元でやわらかくキレイな声がくすぐる。そっと優しく囁くように彼は言葉を続けた。
「…はじめてとなりますが、でも大丈夫ですから。僕の言葉をよく記憶してください。…
さぁ、鼓動を重ねて、騎音の手から伝わる音を聴いて。そして、その音を合わせてください。
はぐれてしまわないように。莉紗さんは騎音と同じエレメントですから、同調しやすいはずです。

では、行く前に。… …
莉紗さん。大事なことです。よくきいてくださいね?
眼を開いたらすぐそこはココデハナイ場所。それは僕達、ステラティカが呼ぶ、
"stary* elemental night/スターリーエレメンタルナイト"。星々の降る夜。君達しかいない場所。だから…
だから、騎音を見失わないでください。
彼を追って、そして君も彼を導いて。
とても綺麗な眩い世界ですが、心を奪われないように。
そして、…
僕はここで待っています。莉紗さん達が戻るのを。
忘れないで。ココで、待っていますからね。」
つらつらと紡いだ言葉を終えると湊は口を閉ざして返答を待った。数秒間、声がエコーする感覚を刻み、そして
「はい、…っわかりました。」
莉紗はその言葉に力強く返事を返した。彼女には見えていないが、湊はまたいつも通り柔らかく微笑むと小さな子供を褒めるように言葉を返し見送る。
「ふふっ、良いお返事で。…では。
さぁどうぞ。騎音、よろしくお願いします。」
「うん、任せて。
いいよ、俺の鼓動わかる?重なったら、感じて。それで俺の合図で瞳を開けて。」
「… …はい。」
湊から言葉のバトンを渡された騎音は得意げに返答をすると、莉紗に問いかける。
極めて短いその返事を受け入れると繋ぐ手を引きゆっくりと自分の方へ引き寄せながら歩き出す。
騎音の手が触れていない、眼を覆った時に繋いでいたもう片方の莉紗の手を、湊はゆっくり、最後に指先だけが触れてそしてそっと離した。今までの微笑みを消して真っ直ぐ、2人の後ろ姿を見つめて。


…トクン     トクン…

脈うつのが手のひらから伝わる。自分の鼓動と彼の鼓動をさぐる。
不協和音のようにズレている鼓動が、だんだんと調子を合わせて、そして、重なっていく。
それは暖かく心地よいリズム。
すぅ…っと息を吸い込み、目を伏せてから騎音は静かに、そして力強く言葉を放つ。

「"meta la stellatica/メタ・ラ・ステラティカ"、ここは俺たちの世界。
軌跡を辿って……ー導け」

言葉を放たれた一瞬の出来事。
眼を閉じていても、閃光が走り眼を開けていたら瞬発的に眼をつぶるようなストロボが起こったのを感じた。しかしそれはすぐに暗転し、そして声を合図に、ぱっと瞳を開ける。
すると彼女の右眼には星空が映し出された。
景色が一変。周囲が濃紺にのまれ、満天の星空が広がる。そうそこは右も左も、上も下もすべて、全部が星々…
そして、今立っているのはあの時の大天球儀の上。

莉紗は今瞳に映る出来事、情景にさらに驚いた。
彼女から見たセカイ。その瞳には流星の星屑の軌跡が見えるのだ。
まるでカメラのシャッターを開きっぱなしにして撮影された星の軌跡が写された写真のよう。次々に現れては消える。
「…、っすごい、すごい…!凄いです!こんな世界が私、私にみえるなんて!凄いです騎音さん!!」
莉紗は興奮を隠しきれず無邪気にはしゃぎ、つま先立ちで両手を高く上げ、空を仰ぐ。
その様子に特別驚く素振りもなくよく知っている様子で騎音は返答した。
「うん、そう。それが莉紗が見える軌跡の世界。
俺達を12星座の星屑へ導く軌跡のチカラ、それを見る瞳を持つ者の世界、"rb:zodiac view/ゾディアックビュー"。
そう呼んでる。
特別な、星々と同調したステラティカだけが見るセカイだよ。ん、奇跡だね。」
はしゃぐ莉紗の後ろで淡々としているがその中に温もりを感じる言葉を優しげな声色で騎音は話す。
「あ…私が受け継いだモノ……」
はっとして気づく。湊が言った、"特別に受け継いだモノ"とはこのことだった。

星々の光が無数に集まるこの場所は地上の夜よりも明るい。
感動と驚きの中、騎音の声に振り返るとそこで初めてしっかりと彼の姿を捉えることができた。
この濃紺の空のグラデーションのようなマットな青黒い髪色をし、端整な顔立ちに青緑と青灰で左右の瞳の色が違うのが綺麗で不思議な魅力を感じる。この2つの色が脳裏に焼きついていた。
そしてあの時、この場所で初めて眼にした時と同じ姿と様子で莉紗と目線を合わせていた。
やっと夢から醒めたような気分だ。今ひとつに繋がる彼女の中のモンタージュ。それが嬉しくって幸せで少し瞳が潤む。
喜びが溢れてその感情に浸っていると騎音は慣れた足取りでそこへ向かう。
「じゃあ、いい?
天球儀のゾディアックサインを廻すね。今日のは、こないだの続き。"Libra/リブラ"の欠片を目指す。」
「Libra…は、あ、天秤座ですね」
「うん。俺の星座。
いつも軌跡を探すところから始めるけど、でも今日は莉紗がいる。その眼があるから、一発で全部軌跡がわかる。
…ねぇ見える?他の軌跡より、違うモノ。
わかったら教えて。俺がそこを辿りにいく。」
言うと騎音はこの大天球儀にリング上に張り付く"横道十二宮の印/ゾディアックサイン"が記された輪を好転させる。
それはまさにこの空間を操る動作だった。360度の星空がその横道十二宮の印/ゾディアックサインの好転に連携し、周囲の情景が廻る。
今いる天球儀が好転しているのか、それともこの星空の世界が好転しているのか不思議な感覚だ。
こうして天球儀を操作し、目指す星座を星空へ映し出しているのだと騎音は話をしながらそれを探す。
莉紗の星詠みのチカラだと言われた、zodiac viewを頼りに。
なんて広大な世界、どこまでも広がる光の粒。感動と喜びに混じって、莉紗は全身を震えが走るのを感じていた。
好奇心が勝り、憧れた世界にいる。でも少し何処かで特別と言われた自分に、この場所に震えを感じていた。

《ー初めてでも大丈夫ー》

その緊張感を解すように、耳元で優しく囁かれた声が莉紗の中でくすぐる。
意思を強く整え、莉紗はしっかりと天を見据えた。
そして天秤座が見える頃、驚くほど鮮明にその星座から零れた欠片の軌跡が見てた。
「!あっ、騎、騎音さん!」
莉紗の言葉に騎音はまばたきで応える。
「完璧。
莉紗が見てる軌跡は、その瞳を開いてる間はここにいる俺にも共有されるから、そのまま同じ世界を見せてね。
それじゃあ、トんでくる。場所がわかったらあとは俺のコレも使って目指そう。」
騎音がそう指したのは自分の首に下げているヘッドホン。そのコードの先端プラグを片手に握り、指を立てる。
ヘッドホンを装着する動作をする騎音に莉紗は疑問を問いかけた。
「?その、その騎音さんのヘッドホンで何が?」
聞かれて、振り向きヘッドホンに手をかけたまま返ってくる答え。
「…これ?うん、これで星屑の音を探すの。
さっきも言ったけど、
莉紗のそのzodiacviewがない時は、軌跡を探すところから始めてるから。
それでその先は、軌跡が分かっても、確実に捉えるには欠片が零す音を頼りに近づくしかない。
あとは同じエレメントの星座なら共鳴する。俺の生まれ星座は天秤座/リブラ、それは風のエレメントだから、それと同じエレメントを持った他の星座とも共鳴できる。
でも外からは何も聴こえないから、距離感を掴めない。
…だから、スピーカーを通して音を聴く。こうして指先がアンテナになって、プラグの先端から欠片の煌めきが流れてくる。それが音になって、声になって俺に届く。
…星が煌めき輝く音色と歌声。ね?」
そう言うと装着しかけたヘッドホンを外して莉紗の耳にかけた。
「ーわぁっ………」
言葉では言い表せない、歌声のような音色のような美しくも切ない煌めく音が遠くから揺れるように聴こえてくるのを感じて、なんだかとても惹きつけられる感覚に思わず声が漏れた。
「ステラティカしか聴けない音。莉紗と俺は同じエレメントを持った星座生まれだから、同じ声が聴こえるんだよ。」
そう優しく囁くと、莉紗に掛けたヘッドホンを外し再び自分に装着する。顔を合わせて、また小首を傾げる仕草で莉紗に言った。
「じゃあ、いい?いくよ。サポートしてね。」
「わかりましたっ!やってみますっ」
懸命に答える莉紗に背を向けて、ヘッドホンを装着してから騎音は駆け出し始めると、風をまとうように軽やかに星空へ飛ぶ。莉紗が記した軌跡が道と階段のようになり、果てしない濃紺を星屑目指して彼は辿りはじめた。
同じ情景を二人は見ている。
軌跡の終わりで欠片が揺らぎ、不安定で予測の出来ない動きをするが、莉紗はその先を見ては騎音に伝えた。サポートを受けてそして今宵の欠片へと彼は手を伸ばし、星屑を手にした。
風を切って天球儀の輪と舞い戻ると、ヘッドホンを外して一仕事やり終えた達成感と安堵感から、ふぅ…と息を漏らした。
「騎音さん…!す……すごいですっ!なんて、俊敏!」
さっきまでの気だるげでマイペースな騎音とは打って変わり瞬発力の高いその動きに、いつもゆったりし過ぎてる自分とも比較してしまったのか、感動と尊敬の眼差しで騎音に言った。
少し離れて着地した騎音は莉紗の元へ、余裕の中に何かを気にしている素振りを見せては小走りで駆け寄る。
「そ?スゴかった?慣れてるからココ。俺ずっと陸上部だから走るの得意だし好き。
それに限られた時間しかここには居られないから。時間を過ぎると戻れなくなっちゃう。
ここも俺達の世界だけど、俺達がいちゃいけない世界でもあるだから。
俺達は、印されたモノだけど他所から来たモノだから。この星座達にとって。」
言うと騎音は特別光を放つ一等星に視線をあげて、その視線につられるように莉紗も同じ星へ目をやった。秒針が時を刻むとても小さな音さえ鳴り響きそうな静寂の星空を数秒間眺め、視線を戻し莉紗に手を差し出す。
「じゃあ、帰ろ?湊が待ってる。もう一度俺の手と繋いで、眼を閉じて。
開いたらそこはいつもの場所だから」
「はい。騎音さん」
星空を意味ありげに見つめた騎音の行動が気にかかるも、言われた通りに差し出された手に自分の手を重ね合わせる。
この場所へ来る前と同じように、莉紗は騎音と手を繋ぎそして、ゆっくりと瞳を閉じたー・・・。

星が、星座達が瞬く。とても小さな声でうわさ話をするように。

+ + + + +


… … …数分間も無い、あっという間に過ぎた出来事のようだった。

眼を閉じるとあの眩い世界が一変し、暗くなるのを感じた。夜の空気を感じ、草木の揺れる匂いがして、そしていつもと同じ世界に戻ったのだと確信した。目覚めたてのような感覚の中、手のひらに誰かの熱と気配を感じる。
莉紗はゆっくりと瞳を開け、まだ少しぼんやりとした視界に、モーヴピンクの憂いの瞳が重なる。
丘の上にあるアーチの中のベンチに腰掛ける莉紗。湊はしゃがみ込み彼女の両手にそっと手を重ね顔を覗き込んでいた。そして
「莉紗さん」
一言、優しく声をかけると、莉紗の瞳に色が付き数回まつ毛の羽音をたてた。
刹那、目が合い重なると、頬をほんのり赤く染めてぽつりと名を零した。
「湊、…、さん」
「ん・おかえりなさい、
ー莉紗さん」
発せられた言葉に安堵して頷き、湊は甘く微笑んだ。
「はい、ただいまです。湊さん」
何度か名前を呼び合う。まるでお互いの存在を確認するかのような呼応。
「…….騎音さん、…は…」
まだボンヤリとしている瞳を揺らして、さっきまで一緒にいたその人を探す。
「俺ここ。」
首に掛けているヘッドホンを直しながら騎音が背後からひょこりと顔を出す。
「あ、………あの!あの私、ちゃんと」
「ちゃんとできたよ。大丈夫、莉紗はしっかりと俺を導いてくれた。」
言いかける莉紗の言葉を読み取ったかのように遮り被せて言った。
「騎音、おかえりなさい。そしてご苦労様でした。相変わらず風を使うのが上手いようですね。」
「…ん。まぁ、ね。それは、みっちり昂連巳に訓練されたたまもの?
それにもうあんな飛び方はしないから、大丈夫だよ。湊。」
「あ、あれは騎音…君の」
「はい、これ。今日のLibra。
割と大きめ。」
ハッとして何かを言いかける湊の言葉を遮るように騎音はそれを差し出した。
その手には内側から呼吸をするように光りを放つ鉱石にも似た結晶だった。
「綺麗…これが、騎音さんと湊さんが集めてる星屑?でもあの場所で見たのと、違う…」
莉紗は幸福そうな笑みでその欠片を魅入る。
「はい。そうです。僕達の集める輝き、それは流れ星のように星座から零れた星屑。"願い星の欠片/ステラカデンテ"。そう呼んでいます。
こちらに持ち帰ると、星座石と同じ原石の欠片になるんですよ」
ー星座石。
それは誕生石と同じように、星座それぞれに守護付けられた鉱石のこと。
いくつか存在するが、最も強い影響と導きを示す鉱石と同じ結晶に、持ち帰った星屑はそれに変わる。
湊は莉紗にそう伝え終えると、一度瞳を閉じて一呼吸をしてから言葉を続けた。
「莉紗さんもお疲れ様でした。
はじめての世界で、上手く騎音と重なれましたね。
さて、これで今夜の星探しは終了、ですね。えっ、と…まだあの時間の影響を受けれる時間が余っているようなので、帰路は騎音が連れてってくれます。」
手元の電子機器の画面を確認し、湊は騎音に莉紗を送って行くよう促した。それに答えて騎音は頷き莉紗に声をかける。
「うん。送ってくよ莉紗。君の帰るべき場所へ。」
「ぁ…、ではお言葉に甘えて。お願いしますっ!
えっと、でもちょっとはなれてるんですけど…」
帰路を説明しようとする莉紗に騎音はそうじゃない、と横に首を振った。
キョトンとしてる莉紗に湊はクスりと笑って割って入る。
「歩いていくのでは無く、騎音が風のエレメントの力を使って、瞬間的に莉紗さんのご自宅へ連れてってくれるということです。」
「うん。エレメントの影響受けれる時間はね、ある程度の距離だったら、俺が知ってる場所、あるいは君の思考を感じて、瞬時にトぶことができるよ。いわば、特殊能力。」
自身の能力について得意げに説明をする。莉紗はその言葉にわぁっと感動した様子で瞳を輝かせていた。
だがそれは、何か引っかかることでもあった。帰るべき場所、そこへ連れ添われた後の、その後ことを。
そして騎音は莉紗に問いかける。
「ね、覚えてる?あの時と同じ……、眼を」
言いかける騎音を今度は莉紗が遮った。
「待ってください!い、嫌です!これって!私、私また夢みたいに思わせられるんですか?!」
『え……?』
湊と騎音は声を被らせて、慌てて言葉を発した莉紗を見る。
引っかかる感覚の正体だった。覚えている。
そう、それは初めて迷い込んだ後の出来事。
半分現実のようで、半分夢のように感じた二人の記憶。彼女を、幻を見たかのように仕向けた一夜の出来事。
莉紗は懸命にその思いを口に出し始めた。
「私、もう醒めたんです。夢から。だから、
…だからその…ちゃんと起きて、帰ります。
今眼を閉じて、目覚めたらベッドの上でそれで…騎音さんも湊さんも、いなかったみたいに、消えてしまうのは嫌、です。だってそれは、また夢を見ていたように思うから…。
そそ、その、私、私お二人に会えた事、
偶然でも私、嬉しいんです。忘れたくないです………えと、ごめんなさいっ!我儘を…」
不安げに両手をきゅっと合わせなんとか気持ちを伝えようと、今にも泣き出しそうな表情をして莉紗は視線を落とし少しだけ、肩を震わせていた。
その様子を見て二人は視線を一度交わすとなだめるように莉紗に言う。
「不安な気持ちにさせてしまいましたね。でもあの時はそうするしかなかったんです。だけど……今日からはもう、ね?騎音」
「ん。大丈夫。安心して。今度は絶対、俺も湊も勝手に消えたりしないから。」
言われて莉紗は顔を赤らめ、2〜3回頷いた。
「は、はい。ありがとうございます。騎音さん、湊さん。」
えへへっと照れたような表情で笑顔を見せて二人と顔をあわせる。
「それでは騎音、あとはお任せします。僕は先に戻りますので。」
「うん。わかった。トべるから、大丈夫。」

「あ、あの湊さん!」

その場を去る湊を呼び止めたのは莉紗。数歩だけ歩いたところで咄嗟に呼び止められて、少し驚いた様子で湊は振り返る。
「?、はい、なんでしょう?」
「私、今日ココへ来てよかったです!」

感情が高ぶった声で離れた湊へ懸命に、今日の出来事への喜びを伝える。
「……ぁ。ふふっ。
ええ、僕も!
来てくれて嬉しかったです、莉紗さん!」
言われて一瞬静止し明るく甘い笑顔で、湊は弾む声で返した。
今夜の最後の言葉を莉紗と交わすと、騎音に任せて湊は二人に手を振ってから駐車場へ向かい、騎音は莉紗の額に自分の額を当てて莉紗に思い描かせる。連れて行く、今夜帰るべき場所へ。
駐車場へと向かう途中、莉紗と騎音が風を使い瞬時に移動した事を確認するとゆっくり振り返り、2人が消えた場所に目をやりそして、ポツリと言葉を零した。

「偶然でもなんでもない。だってこれは、きっと必然。
だから…………待っていたんですよ、僕達は。

君を。」

まだ日が昇るまでは長い夜。
今日はこの場所でも、今にもこぼれ落ちてきそうに見える星空はとても近く感じる夜の空だった。

+ + + + + +

トンっと中と外で2人の足が床に当たる音がし、莉紗は部屋の中からバルコニーの扉の鍵を外して扉を開く。
バルコニーの手摺に騎音は腰をかけてこちらを見つめていた。
「ね?いるでしょ?」
「あはっ、はい!騎音さんです」
小首を傾げて言う騎音に、嬉しそうに莉紗は言いその姿を確認して笑顔で答えた。
そのままぺこりと深く頭を下げて会釈をする。
「お見送りありがとうございました。」
下げられた莉紗の頭をまた、軽くぽんぽんと触る騎音。会釈した体勢を元に戻し、触れたら箇所の感触を確かめるかのように自分の手で触ってみる。そして、ほんの数秒前までいた丘の上で、お互いの額を合わせたことを思い出し莉紗は少し頬を赤らめていた。
こんなにも誰かと近い距離で触れ合うなんて、初めてのことだから。
「…ん。それじゃ。今日はさよならだね。」
騎音は言うと手摺に片手をかけて、くるりと身体を捻るとすかさず莉紗が驚き声をかけた。
「あっのの騎音さん?ここ2階ですよ?!下からどうぞっ!」
今にも二階から飛び降りそうな騎音を慌てて呼び止める。もちろんそのまま足場もない二階から飛び降りわけではなく、今しがたここへ来たように風のエレメントを使って移動しようとしているが、莉紗にはそんな事を思い出す余裕は無く慌てふためいている。
「いや、だって、まずいでしょ。玄関から堂々と。見つかったらなんて言えばいいの?」
困ったような顔をして首を横に振った。
そんな騎音に莉紗は当たり前のように言う。
「心配にはおよびません!私しかいないから大丈夫ですよ!」
言われて驚き一瞬目を丸くする。けして豪邸ではないものの、一軒家に一人で住んでいると言っているかのような言い方から理由を探る。
「え。何、お留守番?」
「ああいえ違います。ええっと、私ここに、今はこの家に一人で住んでますので、玄関からでも全く問題ありませんから、どうぞ!」
「莉紗、ひとりで、ここにいるの?ずっと?」
「はい。あ、でも一人で住んでるのは、中学に上がる頃から。
あんまり覚えてないんですが、私物心ついた頃には母とおばあちゃんと家族3人でした。
私の父はずっと海外に行っていて、母はまだ私がもっと子供の頃に父を追って。もちろん、ちゃんとお話もして、ちゃんと理解して。
その後はずっとおばあちゃんと2人で住んでたんですけど、でもおばあちゃんは3年くらい前から一緒に暮らすことができなくなって……。
今の学園には寮があるからそこに入るよう勧められたけど…でも私、家族で暮らしてたこの家を離れたくなくって。あ、でも家族とは時々電話でお話はしますよ!
だから私は…平気ですけど。もう慣れましたし。」
思いがけず莉紗の生活を知って騎音は、ほとんど変わらない表情の中、その瞳は哀しそうにし静かに言葉を零した。
「…そっか。そうなんだ、……莉紗。……ねぇ、…寂しかったの?」
真っ直ぐこちらを見つめる騎音の二つの色の瞳。ちょっぴり強がった言葉を言った、その奥底を見透かされたようだった。ハッとして一瞬きゅっと胸が締め付けられるような感覚がして、莉紗はその一言に自然と瞳が潤みだす。急にこみ上げた感情に戸惑い瞳を手で覆いなんとか堪えようとする。
「あ、あれ?…ご、ごめんなさい私、その、誰かに自分のこんな事を話すなんて、…はじめてで…えへへ、目が熱くなっちゃいました。…恥ずかしいですね」
そんな莉紗の様子を見て、騎音はフラッと距離を詰めて、そのまま
「ッッ??!!、はわわわわっっののののおとさんんんっっ??!」
あまりに突然な行為に声が裏返り肩を強張らせて硬直してしまう。莉紗は唐突に騎音に抱きつかれていた。
優しく莉紗の柔らかくふんわりとした髪に顔を少しだけすり寄せながら慰めるよう囁く。
「莉紗にはきっと、誰か必要だったのかもしんない。慣れ親しんだ人、大切な人達と離ればなれ。誰か側にいて欲しい時も、あるのにね。
そしたらそれは、もしかしたら俺達だったのかも。
だから莉紗は…俺達と出会う為にあの夜、同じ星を見て、目指して駆け出してたんだとしたら、…うん、嬉しい。」
「騎音さん。…はい、そうだったら、私も嬉しいです。」
優しいあたたかな抱擁の中騎音の声が耳をくすぐる。勝手な解釈だけど、それは運命的で叙情的。
すっぽりと収まり、彼の肩に胸に額があたる。ドキドキと鼓動が高鳴ってしまうが、懸命に慰めてくれようとするその行為には、何処か安らぎと安心感を覚えた。まだ数時間だけ共に過ごしただけなのに、昔からお互いを知っているような気持ち。
そのまま抱きつかれたままで言葉を交わすことなく数秒間が経過すると、たまらず莉紗は少しだけ身動ぎ
「……あの、あの騎音さん……えっと、その…」
そろそろ離して欲しいそぶりをする。
それに気付き騎音は
「ごめん。」
恥ずかしそうに言う莉紗の言葉に、一言だけ。慌てることも無く、異性に突如抱きついたことに対してまるで何事も無かったかのようにスっと離れた。そしてここから去ろうとしていたことを思い出したように喋る。
「……ぁ…いけないね、そろそろ戻んなきゃ。
エレメントの影響が消えると、さっきみたいに瞬時にトべなくなるから。」
振り返り向かったのはやはりバルコニー。またその手摺に、今度は足と手を掛けてそこから飛び降りる姿勢をとる。
「っっへ!?騎音さんっだからココ2階っ」
またしても慌てふためく莉紗をよそにその体勢のままこちらに顔を向けて、にこやかに言う。

「じゃあね、莉紗。
……また一緒に、行こうね。」

今までクスリとも笑わなかった、そう言った騎音の表情は、一瞬笑みを浮かべたようだった。それは、とても柔らかくてキレイな笑顔。
そしてそこから飛び降りたかと思うと、そこだけに空間を裂くような風が走り莉紗は後を追うように下を覗き込んだがその姿は消えていた。
どうやら騎音が言った通り、風のエレメントを使い自分の帰るべき場所へ、消えていったようだ。

「…はい、騎音さん。また、一緒に行きます。私」

微笑みを浮かべて、そこにいない彼へ返事をしてみる。
穏やかな気分。残る温もり。でもこの気持ちをまだ感じていたい。
このまま、今夜はあの本を読み返すことにしよう。こんなにも高揚し、すぐには眠れそうにない夜だ。眠るのがもったい無い夜。ふと、莉紗はひとつ疑問があることを考えていた。
(そういえば、私、騎音さんに聞きたいことがあったはず……なんだったっけ……?)
初めて出会った時のことを思い返してみる。どうしてもひとつ気になること。だが今は、何を聞きたかったのか思い出せない。
(ん。でもまた会える…。騎音さんの顔を見たらきっと思い出せる。その時尋ねてみよう)
莉紗は自己解決した後、引き出しに大切にしまっている一冊の本を取り出し、今しがた見てきた情景を思い返しながらページをめくった。時々窓の外の星空を見上げて。
月も明るく澄んだ夜空。月の側にある星が、その明るさに劣らず、印象的に瞬いている。

stary*elemental Night…。
彼女は今宵、あの夜空にいたんだ。

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